そいえばプロフィールどこにも書いてなかったので、このページに書きます。
 

これまでの経歴

 
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名前を土肥良太と言います。

2015年に日本に帰国するまでは、オーストラリアのサッカークラブBallarat Red Devilstでプレーしていました。また、選手活動と平行してチャレンジ専門店「チャレンジャーズシティ」や、オーストラリア国内で日本人ハウスクリーナー派遣サービス「BENRISUGIYA」など、日本、オーストラリアで複数のチーム運営を行っています。
 

小学生から高校まで。

 
小学1年生の夏、友人が入っていたサッカークラブを見学に行ったのを機にサッカーを始める。小学生の時は試合に出たり出なかったりの中堅的な選手でした。

才能あふれる選手を見て、小4の時「奴等に勝つには練習量で圧倒する以外ない!」と、持てる全ての時間を練習に費やすようになる。「遊び」と言われるような活動は一年に1日くらいしか無かったように思います。こんな生活は19歳まで続きました(笑) 

中学でも2年から試合にで始めるくらいの普通の選手、高校では県内の強豪校に進学したものの、公式戦には一度も出場しないまま3年間を終える。

それでも、「もっと上手くなりたい」そんな意思が薄れる事は全くありませんでした。自分の中での進歩を実感する事が何より楽しい。
 

頭を使う事を覚えた大学時代。

 
大学でももちろんサッカー部に入りました。しかし、入学したのはスポーツには全く力を入れていない東京工芸大学。練習に来るのは部員は全部で15人足らず、練習に来るのは8人程度。。。

そう、めちゃくちゃ弱いサッカー部です。

気楽にやるのがサークル、ガチでやるのが部活。そう思っていた僕は、初めの一年間、先輩たちと衝突ばかりしていました。

どうすればこんなチームでも強くなれるのか?2年間悩み続けましたが、3年時に主将になるという話が持ち上がります。

この話に「俺の独裁型でいいならやる」という条件付きで引き受けました。僕がこの部でやりたかった事は、多数決を取っていては絶対に実現しない事だったからです。

それは、、、

普段練習に出ている5人以外全員クビ。ただし練習参加は自由、サッカー部に入りたいやつは再入部するように。 

という、‘‘完全なる部の作り直し’’です。

再入部可能なら意味ないんじゃん??と思われるかもしれませんが、このサッカー部が無くなって困る人でなければ、戻ってくる事はありません。実際に次の日から練習に来るようになったのは、元の5人と、クビになったメンバー2人だけでした。

7人から再スタートしたサッカー部、真面目に取り組めるメンバーだけが揃ったものの、シーズンが開幕するまでに11人を揃えなければ、部は潰れてしまいます。

どうやって11人揃えるのか?もちろん僕には考えがありました。

東京工芸大学は、どの運動部もおちゃらけサークル状態で、サッカー部だけでなく、どの部にも部員の適当さに不満を持つ真面目な選手が1〜2人は所属していたのです。

こいつらをサッカー部には引き抜いてみてはどうだろう?僕は、大マジでそれを狙っていました。

おい。今の競技でプロになりたいわけじゃないなら、サッカー部に入れ!

最後の学生生活、単に真面目にスポーツに取り組みたいだけなら、競技を変えてもいいんじゃないか?

そうやって、普段から1人で居残り練習をする各部の部員達に声をかけ回った結果、3人のメンバーがサッカー部へ!!ここから、各選手達が友人に声をかけてもう2人の選手が加わり、さらに新一年生が2人。

これで11人が揃った!

残りの1年間どうなるかは全く想像できません。しかし残りの一年、全力を尽くすのみです。

サッカー初心者メンバーはまずはリフティング100回から、初心者が一年でそれなりの選手に育つには??このチームがリーグで闘えるようになるには、どうすればいいのか? ?

永遠に考え続け、様々な仮説検証を繰り返した結果、様々なアイディアが生まれました。その中には、サッカー経験者集団の中でやれば、常識はずれ過ぎて誰も聞く耳を持たない様なものも多くあります。

そかし、そんな突飛なアイデアを試せるのもシロウトチームのいいところです。あくまで僕の中ではですが、試合ごとに様々な実験を行い、チームにフィットした戦い方を見つける事ができました。

そして、来たる産能大学とのゲーム。湘南ベルマーレと提携する強豪大学であり、1年前に20対0というサッカーとは思えない程の大差で敗れた相手です。

その時の公式レポートが残っていました。
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これが、一年間でどれほど変わったのか?

今回の試合はあくまで練習試合でしたが、僕らはこのゲームに照準を合わせ考えられる、最高の準備を積み上げてきました。

結果は、

1対1の引分け。

サッカーをしている方にはわかると思いますが、これはもう奇跡としか言いようのない結果です。もちろんゲーム内容は防戦一方と言ってもいいものでしょう。しかし、守って守って守り抜き、さらには先制点を奪うことにも成功したのです。

頭をひねり工夫をこらせば、部員の多くがプロを目指しているチームに、別の競技の出身者で構成されたシロウトチームでも善戦できる。

向こうにとってはたかだか練習試合だったかもしれません、しかし、僕にとってはサッカー人生中最高のゲームです。このゲームで僕は大きな確信を獲得するコトができました。

工夫された努力は結果に直結する。
と。

これ以来、僕は何に挑戦する際も『誰よりもしぶとく』に加え、『誰よりも頭を使う』という二大項目を大事にしています。

 

大学卒業から現在まで。

 
大学についてが長くなってしまいましたが、ちょっと話を戻しましょう(笑)

現在のように『選手と経営者』という二足の草鞋を履くことになったのは、大学卒業時の段階で、サッカーの競技レベルがプロレベルになかったためです。契約できるチームがなければ、ご飯を食べていけませんので(笑)

大学卒業時点で頭にあったのは、本気のサッカーを続ける!これだけ。

『それなら、自分のサッカーをサポートしてくれる‘‘スポンサー企業’’を作れば良いのか!』との思いつきから、勢いで海外起業。自分のトレーニングを経済面からサポート出来るようになるまで、約3ヶ月間全力で成長させました。

これが思いのほかうまく行ったんです。この時も、やはり意識したのはとにかく頭、頭、頭、誰よりも頭を使い、誰よりも工夫するコトです。

‘‘工夫された努力’’

大学以来、そんなテーマを手に入れていた僕は、比較的短期間で海外起業というハードルをクリアするコトができました。これで再びサッカーに集中できる!

そんな遠回りを経て、24歳にして初めてオーストラリアにあるプロチームと契約することができました。始めに入ったクラブはAltona East Phoenix SCという小さなクラブ。その後約3年間はオーストラリア国内の計三つのチームでプレーしました。

2015年からは古傷の治療のため日本に帰国、滞在しています。2016年7月16日に靭帯の手術を受けたので、2016年12月までの復帰を狙っています。

大きな怪我です。しかし絶対に復帰します。

ちなみに、当時オーストラリアで創業した『BENRISUGIYA』は、始めは一人での創業だったものの、現在は組織も充実し今日も元気に営業しています。
 

帰国から現在

 
昨年帰国した際、『リハビリ中も挑戦を止めるな!!』と、帰国後2秒以内に立ち上げたのが、世界唯一のチャレンジ専門店『厚木チャレンジャーズシティ』です。

自分が始めた事をキッカケに、地域、社会にどれだけの貢献が出来るのか?様々なプロジェクトを通して全力チャレンジしています。これがホントに楽しい!

具体的な活動に関しては、このブログやFacebookにどんどんアップしていますので、是非フォローしてください。

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代表者プロフィール

土肥良太のブログ

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