便利過ぎ屋の歴史

執筆中! 2012年、メルボルンに来ていた土肥良太は、命を懸けているサッカーを一時的に中断し、便利過ぎ屋にすべての時間を注力しました。
初めは一人で集客もコールセンターも掃除もやっていましたが、お客さんが増えすぎて仲間が必要となります。
クリーナーさんを増やしつつ、同時に2人の女性にそれぞれコアメンバーとして、現場リーダーとコールセンターを任せることとなりました。

今思えば、これが便利過ぎ屋の悲劇の始まりだったのかもしれません。

仮に現場リーダーの女性をゆーちゃん、コールセンターをひーちゃんとしましょう。

良太、ゆーちゃん、ひーちゃん。
この3人はビジネス仲間や上司と部下というより、親友でありました。
便利過ぎ屋は右肩上がりに成長し、チーム内も仲が良く、プロサッカーも再開。
全ては順調でした。

このあたりで僕や、現コールセンターのみほちんは良太と知り合ったので、
よくゆーちゃんやひーちゃんの話も聞かされていました。

↓みほちん

ちなみに、僕はこのとき友人と2人でパンツ売りをしていました。いや、変なパンツじゃないですよ。
普通の男物のアンダーウェアーってやつです、はい。

まぁそれはどうでもいいとして。

ある日、良太は足首を大怪我してしまいました。

プロサッカーどころではなくなり、良太は日本にリハビリをしに帰国することになりました。

ここから歯車は少しずつ狂いだします。

良太はリハビリするだけじゃつまらんといい、日本でもさまざまな活動を開始しました。
そのひとつが、「厚木チャレンジャーズシティー」というチャレンジ専門店の開設でした。

『チャレンジャーズシティー』では、「素人が一ヶ月本気で練習してライブで歌う」チャレンジだったり、
「クワガタを500匹捕まえて子供たちにプレゼントする」チャレンジなど、様々なチャレンジを企画してきました。

↓素人歌部

↓クワガタプロジェクト

そして実はこれ、ひーちゃんのビザが切れ、日本に帰ってきたときのために、
「ひーちゃんが楽しくやれる仕事を作ろう」というのが元となってできたビジネスです。

まぁひーちゃんには言ってなかったらしいですが。

また良太は、「カフェを開きたい」という夢を持っていたゆーちゃんの誕生日に合わせ、
カフェの店舗をプレゼントする計画を立てていました。

このとき、同じ厚木に住んでいた僕とみほちんも、一緒にカフェのテナントの見学に
ついていったりしていました。

いやー、ひーちゃんもゆーちゃんも喜ぶだろうねーとか思ってました。

このときは。